不況の乗り越え方-松下幸之助
日経ベンチャー2月号に、松下幸之助の不況の乗り切り方が書かれていました。
1929年、世界恐慌が日本に襲い掛かった昭和恐慌時のエピソードです。
(実は、80年前に大恐慌が日本を襲っていたのですね。
また、その後に石油ショックもありました。
「100年に1度の不況」というのも、マスコミが好んで使うキーワードなだけです。
実際は、100年以内に幾度も不況があり、それを乗り越えてきたのです!
ニュースなどによる、マイナス思考表現に呑まれてはいけませんね。)
以下、松下幸之助エピソードからの抜粋です。
松下の製品もまったく売れなくなり、経営幹部から
「従業員を削減してこの苦況を打開してはどうか」と進言を受けた。
しかし、幸之助は、首を縦に振らなかった。
解雇はいっさいせず、給与は全額支給。
その代わり、工場を半日勤務にし、生産を半分に減らす代わりに
残りの半日を皆で販売に当たらせたのである。
社員の必死の営業努力で、たまっていた在庫は2ヵ月で一掃。
逆に工場がフル生産するほどの回復ぶりを見せた。
結果、世界恐慌下の1929年から1931年にかけて、松下の従業員数は
400人から900人以上にむしろ増えたそうです。
松下幸之助は、「危機に瀕したときにこそ社員は伸びる」との思いがあったようです。
「好況よし、不況さらによし」
松下幸之助
2009年3月2日